Interview#02とび職から米国名門大学へ!未来を切り拓いた開拓者から学ぶフロンティア・スピリット

12月23日に都内で開催した中高生向けキャリアイベント『開拓者たちから学ぶフロンティア・スピリット〜大海原に船を漕ぎ出そう〜』での、ゲストスピーカーの講演をご紹介!イベントに来れなかった方は是非ご覧ください。

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鈴木琢也さん
カリフォルニア大学バークレー校卒業
グロービス経営大学院勤務
著書「バカヤンキーでも死ぬ気でやれば世界の名門大学で戦える」

「周囲のノイズを気にしないでほしい」
これから皆さんが進学したり、就職したりする時、世間や社会の評判とか、おそらく色々な意見があると思うんです。そして、そのノイズに従って物事を考えることがよくあると思います。僕は割とそうしたものを無視できる人間です。

最初から無視ができていたかというとそうではありません。

子供の頃の話。小学校2年から3年間無視されるという時期がありました。そのせいで「こうしたら人に嫌われるぞ」とか「あいつに嫌われないようにする為にはこういう言い方をしたほうがいいんだな」とか、今考えたら訳のわからないことばかり気にしていました。そんな時、家が温かければまだ子供は救われるんですが、当時は父親と母親の仲が悪くて、子供を通じて会話をするような冷たい家族でした。そうして、友達もおらず、自分の居場所もない小学生時代を過ごしました。       

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ヤンキー時代の写真を見せてくれた琢也さん

中学での悪友たちとの出会い
辛い時代を乗り切ったと思ったら、今度は悪さをすると「お前やるな!」と評価をしてくれるような、ワルな同世代が多い中学校に入学してしまいました。僕も自然と影響を受けて、髪を染め始めて耳にピアスの穴を開けたり、喧嘩やタバコを始めたり。悪さを重ねて、卒業の頃には、それはもう完全なヤンキーになっていました(笑)。

 

この頃には、周囲の意見や偏見を無視できるようになっていました。なぜかって、僕の様な人間は社会から疎外され、社会のゴミだと判断されるからです。それでも、僕には仲間がいた。「仲間がいる」という実感があったので大抵の辛いことは乗りこえて前に進めることができました。

ノイズを無視する=自分で決めること
実際、ノイズを無視していざ高校進学の時期になると「そもそも何で俺ら高校行かなきゃいけないんだ?」って考えました。こんなこと、皆さんは多分あまり考えたことないと思います。ノイズを無視し始めたら、途端に自分で決めなければいけないことが増えるんです。僕はその頃、何事も「面倒くせぇ」と思う人間でした。だから、「とりあえず卒業した方が将来の選択肢が増えるかな」と考えて高校に進み、卒業をしました。んで、その後に就いた職業がとび職。皆さん、とび職ってわかります?(笑)鉄パイプなんか組み立てて、工事現場の足場を作る仕事です。割と稼ぎも良い仕事だったので、「なるべく早く金貯めて、結婚して、大家族作るぞ」なんて僕は考えて就職しました。

ノイズの中に潜むシグナル
そうして働き始め、だんだんと周囲の声(ノイズ)を無視して自分で選択を重ねていくうちに、ノイズの中にシグナルがあることに気づいたんです。僕が19歳でとび職をやっていた時のこと。当時も家族はバラバラだったんでしたが、父親が生命保険のセールスとして、会社から成績を表彰される機会がありました。家族に頼まれて、渋々ながらハワイの表彰式に出席したら、巨大なホテルのステージ上で、父が表彰されたんです。その時に撮影した写真の中で、僕と姉と母は笑っていたんですが、オヤジだけがうれし涙を必死にこらえてました。それを見て、だんだん「大の大人がうれし涙をこらえるって、ちょっと異常だな」って思う訳です。

家族関係はもちろんボロボロでしたし、オヤジのいう「頑張れ」も僕にとってはそれまでノイズでしかなかったんですが、この時から「この人も色々考えてるんだな」と魅力を感じるようになり、僕も変わっていきました。

このあたりから、父や周りの人間は仕事に情熱を持って取り組んでいることを理解し始めました。対して自分がどうだったかというと、仕事に大した情熱もなく「とにかく早く金を稼ぎたい」としか考えていなかった。なので、折角やるなら父親みたいにカッコよく仕事をしたいと思い、父親にどうやったらそうなれるか相談してみました。

勉強の仕方がわからない
「学歴はいらないけど、とりあえず勉強しなきゃやばいよ」とアドバイスを受け、「なんだか良くわからないけど勉強にはまず本だな!」と考えて本屋に行きました。そこでは沢山の本がバーッと並んでいました。どの本をかったら良いかわからないから「とりあえず株だな!」と思って投資の本を買いました。んで、読みました。全然意味がわかりませんでした。笑

「あ、無理だな」と思って親父のところに戻り「やばい、オヤジ全然わかんないぞ!」と聞いたところ、じゃぁ今度は新聞読んでみろと。んで、開いてみたら書いてあることがわからない。そもそも漢字が読めない。

そうして、もう一度本屋に行って今度は辞書を買うんです。でも、当時は紙の辞書。あれって、読めないと引けないんですよね。(笑)

「なんだよ。もうふざけんなよー!」と文句を言っていたら、「今は電子辞書ってやつもあるぞ!」と親父が教えてくれました。「ふむふむ、こんなもんか」と、ある程度勉強が出来るようになると、さすがに独学だと厳しいことに気づいて専門学校に通い始めました。

分数の上に分数?これ、印刷ミスじゃね?
IT系の学校で授業を受けていた時、配られたプリントに分数の上に分数がのっていたんです。これ、印刷ミスじゃね?!と即座に思いましたが、僕が知らないだけでした。(笑)

その後もきちんとプロに教えてもらい、資格も取得することができ就職をしました。無事に働き始めたんですが、2008年の金融危機を受けて世の中の景気が悪くなり、体力と根性だけの営業では限界があるなと気づきました。頭を使って将来の見通しについて予測・提案することが求められているのに、自分はバカすぎて正直やばいぞ。大学にでも行こうかなと考えたんです。
会社にいる僕の周りの人たちも、それなりにいい大学を出ていて、経済やら政治やら小難しいことを話しているわけです。それを聞き、大学はそうした知識を身につけるための一つの手段だと思いました。

当時は自分で稼いだ金で大学に通おうと思っていたんですが、たまたま父の仕事が順調で「今ならお前に投資をしてやるから、予算を決めずにベストプランを考えてみろ」と話してくれたことがありました。
そこで僕は、「じゃぁ東大行こう」とまず考えてみましたが、調べてみるとどうやら試験や色々の準備でどう計算しても7年はかかることがわかった。当時24歳だった僕は、7年後といえばいいおっさんになるわけです。そこで、限界は5年だと想定して手段を探していった結果、アメリカへの大学進学に行き着きました。

自分の潜在能力を信じてみる
調べていくうちに、どうやらカリフォルニア州でコミュニティカレッジに通って4年生大学に編入する方法があることがわかり、これだったらいけるんじゃないか?と思い、進路を決定することしました。父に報告した時にもらった言葉は今も心に残っています。

「家族三代で成功したい」

この言葉は、すごく熱い言葉だと思いました。自分が少しでも努力をやめてしまえば、自分の後に続かない。そう覚悟して、辛い時にはこの言葉をいつも思い出していました。
留学の時には、やはり周囲から声がかかりました。

せっかく就職したのにやめてしまうのはもったいない。

今更勉強するの?
無理だよお前には。
バークレーって何?

さすがに親父にも「バークレーは無理だから大丈夫!」と言われる始末。

それでも、この時にはノイズを無視できるようになっていたので、アメリカには偏差値では測れない能力を活かすAO入試制度もあるし、「俺には多分ポテンシャルがある」と信じていました。結果、合格してアメリカ留学に行くことになります。

小学生レベルからの再スタート
向こうに行ってからも大変でした。まず序盤、英語ができない。

現地に降り立った時の英語レベルは、英検でいうと多分4級レベルでしょうか。3級の単語集も難しい。4級はギリギリ外来語(かろうじてヨーグルトとか)が読めるぐらいの英語力でした。(笑)

出発前に「ねぇ、somethingってなに?」って親父に聞いて、本気で心配されました。

 

自分に合う勉強法を身につけ、経験値を貯める
世の中にはたくさんの勉強法があるけれど、冷静に考えた時、自分には英語力がないことはわかっていたので、小学生が取り組むような問題集から始めて、短期間で何とか英語力を強化していきました。しかし、コミュニティカレッジに進学してからもテストで全然思うような成績が取れないんですね。90点以上でA評価を取らなければいけないのに、どんなに頑張っても85点とか。

そこで考えたのが、デキる奴を研究すること。デキる人はどんな発言をするのか?どんな手の上げ方をするのか?仕草をジロジロ観察したり、インタビューをしたりしました。そうすると彼らは「あんまり(勉強に)時間はかけてないよ」と答えるんです。それを聞いて僕は、「やっぱ地頭、半端ない」と思いました。

でも、よくよく聞いてみると過去に驚くぐらい勉強していたり、苦労をしたりしているわけです。そこから「デキる奴とそうでない奴との違いは地頭じゃない。経験値の違い」だとわかりました。じゃぁ、自分にはそこまでの経験がないならこれから積み重ねれば良いんだと。

1日14時間勉強すると決めて、自分の行動を分析しました。Web上のカレンダーで勉強した時間をカラーリングし、内容を入力する方法です。続けていくうちに、自分は夜だと数学が捗ることや、朝ではエッセイやライティングにかける時間が短くて済むことなど、「自分の癖」がわかるようになります。そうして最終的には大学に進むことができました。

地頭の違いに騙されるな!
入学後は、トップレベルの学生に囲まれる生活でした。当然僕は、中学時代はただの雑魚ですから「こんな方々と一緒に勉強をさせてもらっている。やはり地頭には敵わない」と考えてしまいがちでした。ただ、生活していくうちに彼らも普通の人間なんだとわかってきます。そうして原点に立ち返り、諦めずに勉強生活を続けることができました。

自分がどうして挫折しなかった考えた時、やはり家族の存在がありました。
加えて、自分の中で重要だなと思うのが

デキるようになりたいのか?それともデキる奴として見られたいのか?ということです。

これは、近いようで実は全然意味が違います。心の底からマジでそうなりたいと思えるようになれば、失敗や間違いなんか、どうでもいいと全く気にしなくなります。24歳から、ましてや小学生レベルからやり直すことは恥ずかしいことかもしれません。でも、世間の目やノイズを気にしてしまうと、年相応に見合った能力が身についていないことを指摘されるわけです。それでも、自分が目指す方向に向けってマジになったら、周りが気にならなくなる。できちゃうんですよ。自分のことを真剣に考えて「俺は何がしたいんだ?」と考えると、本当に必要なことが見えてきます。

鈴木琢也さんとイベント運営担当の岩坂
鈴木琢也さんとイベント運営担当の岩坂

未来は自分たちの手で創るもの
大人になると、未来を予測しようとするんです。今いるビジネススクールでもよくありますが、現在目の前にある問題を過去のデータや数字をもとに分析して将来を考える人が多い。でも、言ってしまえば未来なんて誰にもわからない。アメリカに留学したい。バークレーに行きたいって僕が言っても、結局はそこから自分の手でどう未来を創りたいかだと思うんです。その為に、どうすればいいのか考えることが大切です。アメリカではどの大学でも、卒業式で「お前らが未来をつくるんだ」と言われます。それは自分自身に対しても同じことが言えます。

今の自分には偏差値が足りないから行きたい大学を諦める
自分にはできない。無理だ。
そうではないんです。

自分が将来こうなりたい。じゃぁ具体的に何を準備しないといけないのか?そう考えること。それは僕が学んだことです。未来がどうなっていくかなんてわからないけれど、このマインドでみんなにも頑張って欲しいです。

ノイズに関しても、この話を聞いてくれている人や、記事を見てくれている人はきっと前に進もうとしている人だと考える同じ仲間だと思います。
この仲間がいるかどうかは、何か新しいことを始める時にとても大切です。ノイズを無視できるようにもなるので、是非出会ったつながりや和を大切にして、そして「マジでお前は何になりたいの?」と自分に向かって問いて、それに対して今ある選択肢や資源の中から具体的に考える。それができれば自分自身の手で未来を創っていけると僕は信じています。お互いこのマインドを持って頑張りましょう!

12月23日のイベントの様子はこちらから
https://www.facebook.com/events/927320117315868/